中の下理系大学生の日記(仮)

いろいろ手探りです 画像はとりあえず付けました

期末が一段落したー

どうも、昨日は予期せぬトラブルで結局4科目の期末をその日のうちにすることになってしまった者です。

期末があと一科目を残すのみとなり、来週金曜には恐らく春休みなのだろうと見込んでいるところです。

正直不安と焦りで押しつぶされそうだったけど何とかやれてよかったです。

どれもまあまあできたという手ごたえだったので今はホッとしています。

ただ、おかげで先週は本を読むだけの時間的、精神的余裕もなくゲームも触れませんでしたね。

忙しいというよりはそれをして何かを失うかもしれないという不安が目の前に迫っていたからだと思います。

私自身がその特性上目標を立てるとか、あるいは細かくプロセスを計画するというのが苦手でして。

そのため、レポートなんかはやると決めたらすぐやりますし、課題はできるだけ早くやるようにしています。

そのため完成度は低くなりますけどね。

なぜかわからないのですが具体的なステップを設けるのができないんですよね。

だから文章一つ書くにしても書き始めを考えるくらいで、あとは勢いで何とかするんですね。

ひらめきとか思いついたこととか、思い出したこととかを文章から想起するんですかね。たぶん。

まあいいや。

ついでに最近のことで引っかかったことでも。

最近ではたむけんとラーメン屋の話がよくニュースで扱われている印象を受けますね。

Twitterはもう1年近く触ってないので今はどうなっているか知りませんが、私はこの炎上という現象にいい印象を抱いてはいません。

まあ当然ですよね。社会的に見て、あるいは大衆が見なした悪があるから、そこが燃え上がるわけですし。

でもね、私が嫌いなのは善人面した悪人、あるいは半端な人が悪とみなされるそれに対して情報的にも立場的にも優位に立ち、そのうえで攻撃することを善であるかのように思っているのではないかと感ぜられる点にあるんです。

メディアで取り上げられるSNS上の反応はごく一部に過ぎないのでしょうけど。

まとも、特に感情的に吐き出された暴言などではないものが少ないように思います。

特に不思議なのが昨今では特に知的財産というものが重視され、強調されつつあるにも拘わらず、SNS上での発言がその主体に帰属しないかのように考えている人が多いように思われる点です。

で、ラーメン屋の方の取材の際にいたずら電話に困っているようでした。

仮にSNS上での彼の言動が問題だったとして、SNS上に別の人格を認めるならば、なぜ彼らは現実世界の店へ迷惑をかけることを正義の行使として認識し得るのでしょうか。

現実世界の彼はSNS上の彼とは異なる人格であるならば、それは正義の行使ではなく単なる暴力、加虐に他ならないと思います。

SNSと現実世界を分離して考えてみたときに、片方のことを確かに持ち込んでいるのは事実です(SNSに上げられる情報の多くは現実の主体の心理的、実際的経験に基づくものでしょうから)。ですが、SNS上での悪人に対して、現実世界でも悪人であろうと決めつけ、いわんやその人に迷惑をかけようものならその時点でその行為者は「他者の自由を侵害する」という意味での現実社会での悪になるはずなのです。

私は筋の通ったクレームや感情を介さない批判はサービス向上のために有益なフィードバックであると思いますが、そうではない―ましてやそのサービスを利用してもいない―人間がただ問題点だけを晒し上げ、そこに石を投げ、火を放ち、唾を吐くのは自身の利己的な欲求(自己肯定感や自己効力感など)を満たすためにする自慰行為、あるいは正義の皮を被った裁判官気取りのエゴイストによるいじめではないでしょうか。

どうでもいいこととそうでないことの線引きが難しくなりつつあるのは事実でしょう。

ですが私にはそのどうでもいいことに飛びついたピラニアがそのどうでもいいことを食い散らかすだけじゃ飽き足らず、それとつながっている部分まで川に引きずり込んで食らおうとしているのが見るに堪えないだけです。

いまいち上手く例えられませんでしたね…

とにかく午前3時とか4時とかにイタ電するくらいなら、寝るとかアニメ見るとかゲームするとか、自分の実になることをしたほうがいいんじゃないのってだけです。

他人にわざわざ迷惑をかけるために自分の時間を無駄にするのはちょっとコストに対して得られるものが少なすぎるんじゃないかなってだけです。

じかんだいじに