たまに考えること
どうも、休み明けでまだふわふわしている者です。
有名な話として光速を超えることはできないよってのがありますよね。
これは情報の伝播もそれに従うことを指していたと思うのですが。
となるとですね、仮に光速を超えたらどうなってしまうのかって考えてしまいますよね。
で、私は光速を超えることはその時(その存在のいる世界での時間)にその存在がその世界にいないことになると思うんですよ。波の話を考えてみれば波源がその前に発生させた波の外側にいることになるんですね(まあ情報が波なのかはよくわかりませんが、重ね合わせとかあるんですかね。すべてを光として認識するならあり得るのかもしれないのかなあ)。ここである時間に発生させた情報をこえた存在があるとしたとき、この存在の認識する世界はどうなっているのでしょうか。
私はこの存在は未来にいるといえると思います。なぜならある時(彼にとっての過去であり、発生させた世界での現在に近いもの)発生させた波があとから来るんですから。つまり彼はその情報を発生させた時の彼が世界に従う限り許された未来の範囲よりも遠くにいるのです。許された未来があとから来るんですね。まあ許されたってのも変な言い方ですが。
で、元の世界にいないというのはですね、彼のいる世界は元いた世界が色づける前の世界にいるんだと思うのです。つまり、この世界に並行した別時間の世界がないとしたら彼はその唯一の世界からはみ出た唯一の存在となってしまうのです。
だからそこには何もいないし、なにもないのではないかと。
じゃあ元いた世界の彼はどうなってしまうのかについてですが、これは情報の更新が不可能になるため、消えるのではないかなあと思います。
だって彼は死んでいませんし、第一死んだことを認識されるのはその世界の中にある存在だけです。その外に行ってしまった彼を誰も知ることはできないのでしょう。
まあつまるところですね。こんな世界くそくらえだっていって出ていく人ならまだしも、興味本位で出ていく人がもしいたらですね、やめたほうがいいと思うよってことです。
物理的に不可能なのを抜きにしても存在への潜在的なダメージは計り知れないと思うのです。
だから今を生きるって大事なんやなって思いました。
本当は今を生きている人って少ないんでしょうけどね。私も含め過去や未来を見ていることが多いのも事実ですし。
まあ今思い返される過去や想起される未来というのも人間的には今の思考の産物ということで今という解釈もできなくはないんでしょうけど。うーむ難しい。
こういう想像がつかないことを考えるのは楽しいですね。もやもやもしますが。