今年度成人するにあたっての思いとか話題の革命家についてとか
どうも、今年度の成人式はなんか荒れそうだなあと不安に思っている者です。
いわゆる”大人”とされる成人を迎えることになっていていろいろ考えることが増えてきました。
私の半生を振り返ると大きく2つに大別できまして、中学3年生(齢にして14,5)がその境であるわけです。
幼いころは親によく迷惑をかけ、しばしば親が謝罪にまわることもありました。他方そのころの私はというとそのような親の様子を見ても罪悪感などはなく、疑問にのみ思っていたように記憶しています。
最近ではまた別の心配をされてはいますが少なくとも親が謝りながら泣くようなことはしていませんね。
この境になった時にちょうどADHDの診断が下りまして、薬が出たこととか、あるいはそこでいい先生に出会えたからなのかはわかりませんが今の私の道徳観や倫理観などの性格に類するものが形成されたのでしょうか。
そうだ、最近話題の不登校革命家さんがいらっしゃるそうですね。
自慢じゃないですが私は高校まで宿題をまともにできたためしがありませんでした。長期休暇の課題は親がいろいろ言うのでなんだかんだやりましたが。
ただ不登校ではありませんでしたね。大抵の先生は嫌いではなかったですし、私の認識する範囲でいじめられたという経験もありませんので(むしろ加害者にあたる行動のほうはいくらか覚えがありますが…)。
不登校であることを非難したりするつもりはありません(それどころか彼の人の動画を拝見すらしていないのでね…)が、今の社会の中でそのように生きていくと少なくとも「小学校すらまともに行けなかった人」というレッテル貼りなどに苦しむことにはなるかと思います。
それに今は知りませんが少なくとも社畜だとか人の言うことだけをやる機械みたいな人間が求められていた時代ではそうなることを社会そのものが教育に対し要請していたわけですし、いつか彼の人も機械みたいになれればいいなと思う日が来るとも思います。
まあ偉そうに言える義理ではありませんが子や孫に望む職業が公務員などである点からもですし、いまは高校で脱落しても受け皿がある(あえて悪く言うなら逃げ道ですかね)のでどこかに大学には入れると思いますし、そうすることがきっと親や祖父母にとっては安心につながるんじゃないでしょうかね。
もちろん個としての能力が十全にあって起業だとかあるいは別の形でも構いませんがこの学歴至上主義社会(もっとも、近年では学歴さえあればといえる状況でもないようですが…)のなかで学歴なしでやっていけるという自信と力があれば生き方なんて自由だと思いますが。
少なくとも教育が広く行き届くようにされている国がまず恵まれていることを認識したうえで、現行の教育制度の欠陥を声高に叫ぶべきかと思いますね(そうはいっても感謝できないのが人の性というものなのでしょうが…)。
あとは、民主主義(という体裁の)社会であるんだから、実際にそれを動かせるだけの人間になりなさいとは私も親によく言われましたね。
それでも現行のシステムに則ることに嫌悪感を覚えるのであれば海外に行って自分の望む教育を受けるなどいろいろあると思いますがね。
まあ、国民と国の関係みたいに仮に国民がその国のことをどれだけ嫌いであって、「俺を追放しろ!」などと言ったとしても正当な手続きなしにその国の国籍を捨てられない(剥奪されない)のと似てるなあと思ったりする次第です。
余談のつもりが長くなってしまいましたね。
まあ自分が思い描いていた(あるいは夢見ていた)”普通の大人”というものに近づけているかなあと日々考えを巡らせているわけです。
でも成人式の時にはまだ19だからお酒とか飲めないんすねー
時間があればお世話になった人らのとこに挨拶に行ったりもしたいんですけどねー
成人式の翌日講義が入ってるんだよねー
どうしよー
なーんて今から考えているわけです。ある意味浮かれていますね…
あと半年くらい先ですから今は今のことに集中すべきですね。
では。
さあレポートのテーマ何にしようか…