中の下理系大学生の日記(仮)

いろいろ手探りです 画像はとりあえず付けました

今年のスイッチは豊作っぽいなあ…

ポケダンDXでストーリーそっちのけで依頼やってたらグレートマスターになってた者です. 大体140時間ほどでしたが...ほぼつけっぱだったってことがわかりました. 

 

先月手の痛みがゲームによると医師から言われたため, もうゲームはやめるぞ!と思ったのですがポケダンには勝てませんでした...

 

当方DS版を何周かした程度でしたのでストーリーはうろ覚えで楽しめました. 

 

あとからなら何とでもいえるのですが, ポケダンはそろそろ新作かリメイク出てくれないかなあとDS版を再びプレイするたびに思っていたので広告を見てほぼほぼ購入が確定していました. 

 

イベントが華やかになっていたことは個人的にすごくうれしかったです.

依頼などのシステム面もかなり親切になっていたのが好印象です. 

また相棒選択は選べましたっけ?最後にDS版やったのももう半年くらい前になるので覚えてないですが, 知らない子も増えててワクワクしましたね. 主人公はヒトカゲでした. DS版は直近のものがカラカラでした. 

 

ゴーストタイプの怒涛の追撃はなくなっててホッとしましたが, レベル制限ダンジョンでのころがるがトラウマになりつつあります...マリルほんと許さん

あと自分はフェアリータイプが出てくる世代を知らないのでフェアリーが出てくると頭が混乱します. 妖精って飛行タイプっぽいやん...

 

そのうえ, 今月20日にはぶつもりの新作だし, 今年中(?)にBoTWの続編(?)が出るみたいでやめられるわけがないなあと思いました. 

 

以上任天堂にTKO負けを喫した(喫する予定の)お話です

 

 

余談:

ポケダン発売前の数日間で操作の感覚を取り戻そうとスプラトゥーン2のヒーローモードを少し走ってみました. カテゴリとしてはたぶん

  • 100% (定義にもよるけど武器全強化もこれに含むなら100ではなくAll Stages?)
  • NG (New Game, 少し調べるとNG+―初めからでない, 武器全強化でのスタートとかがこれに該当―はよく見かける. あれはあれですごいなあと思った. )
  • Glitchless, Warpless (Blind raceってのもあるらしいけどよくわからん, ようはバグもワープも僕にはできないからたぶんやってないよってこと, 知らない間にやっているかもしれないから断言はできないです. )

簡単に言えば初めからスタートして全ステージで紙と魚全部集めて (マップのステッカーも) タコワサをしばくだけ. ぶっちゃけちょっと速足の普通プレイにしかならなかった. 当方武器強化縛りは以前普通に走って, 全武器未強化で全ステージクリアも一応した経験はあるが, すでに記憶が失われているのでどうでもいいです. 

 

記録はマンホール飛び込み~スタッフロール終わりのA入力までで4:55:02.85 (動画がないので参考記録にもならんが, いわゆるテストラン?)

チュートリアルはその時01:42.xxだったのでまあ5時間弱ですかね. 

エリア1だけ20分弱, あとは1時間前後かかってる感じでした. なおエリア5以外はエリアボス撃破時のナマズ回収までを区間記録としました. (なんて雑なんだ...)

 

 

言い訳兼考察をするともう半年以上スプラ2は触っていなかったことによるプレイヤー自身のガバ, 集めるものの場所の記憶がガバガバだったこと, 傘デビューステージで大ロス (30分ほど) したこと (紙を回収するのに3周する羽目になった) ...と積もり積もった結果だろうと考えています. 

 

詰めれば3時間弱はいけると思います. (02:56:30.00くらいならうまい人がやればいけそう. でも誰もやらないよなあ...) ただ初めてタコワサで3回くらい場外に落ちたりしたので最後安定とるならシューターだけでも一回強化しておくといいかもしれない. 長丁場はやはりつらい. 

5面のステッカーのため (あとは単に好みで) にバレルを強化したやつがいるらしい. 未強化でとれるのはわかっているので練習するしかないのになにやってんだろうか...

 

あと2面の時点でカーリングボムがとりたいからとったけど必須かはわからないです. あるほうが便利そうだけど, ロスもガバもないとシューター強化にいくらが足りるか心配. ほんとは検証しておくべきなんだろうけど...

 

あんまり関係ないけど, これをやったのは通称血の盾☆兄貴のダクソトロコンRTAをみたことも動機の1つになっている. やはりあの長時間走り切るのはすごいってはっきりわかんだね. 

リンクを貼ること自体あまり好まないので貼りませんが, 調べる際はよく考えることを薦めます. 某氏の魔術チャートは洗練されていて, 例のアレ要素も薄めなのでそちらはコメント消しておけば一般的なRTA動画になると思う. (大斧チャートもすごいとは思ったけど魔術チャートでの進化に驚いたんだよなあ...)

 

脱線しましたが, 気が向いたらまた走ろうと思います. 

しかし, 動画撮るとしても直撮りになりそうなんだよなあ...まあ記録として認めてもらおうとしなければ別に動画なんていらないのだろうが, それだとただ時間計測してるだけのプレイになるのだろうか. どのみちまだ他人に見せられる状況ではないから気にする必要はなさそうだが...

久しぶりに

 お久しぶりです, 手を痛めたのでゲームをやめて金のかからない時間を無駄にする方法を考えている者です. (そもそも趣味なんてものは余裕があるから生まれるんでしょうが)

 

最近はテレビ見ては文句たれ, 動画みて草はやしてるような生活を送っていますね. 

 

で, いろいろ溜まってきたのでぶちまけようかと, 相変わらずごちゃごちゃしてます. 

 

 まず直近の話題でいえばnCov(正式にはどうなったのか知りませんが)に関する専門家会議. あれ仮定を事実のように話しているようにしか見えないんですよね.

三歩譲ってAIによる試算が信頼できるとしても, 現実の値との乖離を仮定一つを持ってきて説明するならその仮定の検証をしてから妥当性を吟味してやる必要があると思うのです. 会見の内容すべてを見たわけではありませんから, その前置きをどこかでしたうえで「若者はよく考えて行動するように」というようなことを言っていたのであれば上のような心配は必要ないでしょうが.

 

検証は北海道のみに限るなら"北海道在住の若者"としてから無作為に標本を抽出し, 検査を受けてもらって, その結果をもとに仮定が妥当かどうかを吟味するってのは平凡ですがなにも検証していない仮定をもとに議論するよりは幾分かマシでしょう. 

仮定に関する検証もなしにさも事実であるかのように, あるいはよほど試算に自信があったのかもしれませんが, 会見での論説の根幹とするのは昨今出回っているいわゆる"デマ"と同レベルだと思うんですよね. 

検証する時間がなかったのならこれは現時点では推測の域を脱しませんが―など直前で述べておけば済むでしょう. まあメディアに意図的に切り取られる*1など会見で万全を尽くしても不安要素は完全には拭えないわけですが. 

 

 次にオイルショックじみたことが再度起こっている現状. 一応私は義務教育課程における社会科においてオイルショックでの混乱を学習した記憶があります. であれば, 同じ失敗は避けようとするものでしょうが, どうやら少なくとも日本における人口すべてが私の想定するヒトの要素ではないようです. 個人的に残念に思います.

 

不安から衝動的な行動に走ってしまう気持ちを理解しないわけではありません. ですがそこに付け込んでくる人間もいる以上(例えば, 高額転売など)冷静になることが一番の自衛手段だと思うのです.

他にも感情的になったことによる判断ミスと思われる事例としましては電車内で咳をした人を移動させると移動先でもウイルスによる感染がおこることは容易に想像できます. ならばその車両にいてもらうことが電車内での感染を最小限に抑えられる方策とは考えられないでしょうか. 自分が動くというのは一つの答えではあると思います. ただ万が一の場合を考えるとその車両への人の出入りを最小限にすることが少なくとも社会にとっては利益になるのではないかとも思うのです.  

 

想像しかできませんが仕事で外に出なければならない環境に対する苛立ちと治療法がいまだはっきりとしていない病魔への不安などに押しつぶされそうだったんでしょうか. おそらくその感情は私の経験したことのないものでしょうから, 安易に共感などもできませんが, 失敗から学んでいけるといいんじゃないかなあ. 小学生みたいな言い方になりましたが...

 

 そういえば治療法ではないのかもしれませんが, ぜんそくの薬が効果あるかもしれないという話でしたね. 論文(報告書?)は読みました. 著者の所属の文字が1)と5)で違って見えるところに始まり, そもそも所属などは論文では注釈として下部に記すものだと思っていたので斬新だなあと思いました. また急いでいたのか本文中で"2/21"*2という半角と全角が混ざった表記が見られたことと, 文献のつけ方が注釈のそれと区別できないことには驚きましたね, どちらも1)をつかっていたように記憶しています. レントゲン写真は肺炎の見方の勉強になったのでよかったですし, あと薬を投与した期間と患者の体温の推移は医学者以外にも理解しやすくしているように思え好感がもてました. tableとかはよくわかりませんでしたね...肺機能の低下によって酸素を体内に十分巡らせることができなくなるから吐き出した空気中の酸素が吸い込んだ時の空気中の酸素から減っていない→O2という記号があったのでしょうか...?

[シクレソニド コロナ]ぐらいで検索すれば2020/03/04朝の時点ではトップにあるので読んで, どうぞ.  

 

 最後に政治も少し面白いことになっているなあと思いますね. *3

新型インフルエンザ等何とか法の改正は憲法をいかにして新しく"解釈"してくるのか少し楽しみですね. 普通の読み方をすればあんな法案通らないと思うんですけどどのようにしてねt...じゃなくて解釈してくるのかなあと思っています. そういう法律も必要かもしれませんが日本国憲法の下ではどうなるのでしょうね...それに珍しく首相がご自身の責任で決断したと答弁の際に明言なさったのでその顛末も気になるところですね. 

 

 

 結局コロナのことばっかりでしたね. 発生当初は3月中頃には落ち着いているかなと予想していましたがクルーズ船やらで現在(2020/03/04時点)では5月末, 連休への影響はあるだろうと推測しています. 治療法らしいそれも確立されていませんし, その間にも患者が増えていますから医療機関がパンクしそうだなあと思っています. まあ今の休校要請の効果があれば4月中頃には落ち着くのかもしれませんが...どうなるのかなあ3回生の講義は...

 

長々と失礼しました. 

 

日記要素:

シャリーのアトリエ0.8周目くらいだから手のためにとはいえゲームを断つのは難しいようです. どこかでみた何かを断つと何もしない時間が増えるというのは本当みたいですね. いかに時間を無駄にするためにゲームに依存していたかが浮き彫りになった感じがします. しかもこのタイミングで初代ポケダンのリメイクと思しきものとどうぶつの森の新作のダブルパンチですから...早く何か見つけないと...

 

そういえば先月末に数え年でも成人を迎えました. もうすぐ就職しないとなんだなあと思うとつらいなあ

*1:あくまで不安要素の例の一つとして提示したものです.

*2:引用元:COVID-19 肺炎初期~中期にシクレソニド吸入を使用し改善した 3 例"http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/covid19_casereport_200302_02.pdf" (最終閲覧日:2020/03/04) . 著者 岩渕敬介; 吉江浩一郎; 倉上優一; 高橋幸大; 加藤佳央; 森島恒雄

*3:私は特に支持政党があるわけでもないですし, 肩入れもしていないつもりです. 要望があるとすれば年金制度は任意で加入できるようにしてほしいかなあ...年金の払うくらいなら定期預金とかに入れたほうがいいのでは?と思ったりする程度です. まあ著者は浅学寡聞ゆえ正確に捉えられていないでしょうからあまり気にしないでください. 

日本語と英語の違いとか

どうも、昨日は寝付けず2時間ほど悶えていた者です…

さて、さっそく本題ですが私は日本語学習が発音記号の学習であったと気づきました。

だからその組み合わせで音を発し、その記号により表されたものが何かを指示する記号となっているのだなあと。

英語で言えば英語のアルファベットを学んだからといってそこから単語を生み出すことはできない(あるいは稀)と思うのです。

それはアルファベットがいうなれば日本語における漢字のようなものだからなのでしょう。

日本語の漢字はその中にいくつかのひらがなを内包し、それらの読みとしてかつて習ったそれを用いるわけです。

日本語の発音記号たるひらがなの英語のそれとの違いについては、ひらがなは前後による音の変化がないように思います。もちろん例えばバリ島(とう)と屋久島(しま)のように変化するケースこそありますが、ひらがなにおいてはそういったものはないかと私の経験上は導けますかね。

また一方で同一の記号でありながら(少なくとも義務教育課程での日本語の学習において)異なる発音の書き分けは漢字のほかには認識する側の解釈に委ねられるという難しさもあります。例えば「橋(はし)の端(はし)を箸(はし)をもって歩く」とかですかね。

まあつまりですね、日本語は簡単なように思えますが意識してないところによくわからないルールみたいなものが隠れていることが多いなあってことです。

ちなみに英語における単語と日本語における漢字の類似点は不-可能とim-possibleのような部分にも垣間見ることができると思います(この程度はすでに過去の研究などでも示されていそうですが)

あと不思議なのは作文などでは英語は~wordsであるのに日本語は~文字ってことですかね。ひらがな一文字でもたしかに「い」などは意味を持ちますが、英語におけるwordsと同じ次元を持つのは漢字のような気もするのですがね…

こういったことを考えていると言葉は接辞などにより異なる意味や品詞になるものが多いですがその根幹には何があるのかということですね。

例えば「できる」「able」があって「可能」「possible」や「能力」(能は漢文でも学ぶ通り可能を表すものですね)「ability」、あるいは「可能性」「possibility」だとかが生じるわけですが、その基になった「できる」「able」はどのようにして決まったのでしょうか(英語だけではないですが、ラテン語などの古代の言葉にその発祥を求めることがありますがその場合はその言語における同一の問題を考えればよいでしょう)。

だって別に「できる」を意味するのが3文字(3音)である必要はないですし「る」でこれが終わるから「~ができる」は「~る」と表されうるわけですから。

ですが、まあたぶんこういうことは考えても意味がないのでしょうね。数学における公理みたいなものなのでしょうか。

言語学を学んでいるわけでもないですがこういうことって気づくと面白いんですよね。

でも英語は難しいです。発音記号から学習してもアルファベットの綴りと1対1対応じゃないので漢字の苦労2回分が必要になりそうですし…(発音記号→アルファベット、アルファべット→単語)

漢文はまあまあわかるけど中国語はどれも同じに聞こえますし…

言語って大変ですね…日本語だって難しいですから…

では。

今年度成人するにあたっての思いとか話題の革命家についてとか

どうも、今年度の成人式はなんか荒れそうだなあと不安に思っている者です。

いわゆる”大人”とされる成人を迎えることになっていていろいろ考えることが増えてきました。

私の半生を振り返ると大きく2つに大別できまして、中学3年生(齢にして14,5)がその境であるわけです。

幼いころは親によく迷惑をかけ、しばしば親が謝罪にまわることもありました。他方そのころの私はというとそのような親の様子を見ても罪悪感などはなく、疑問にのみ思っていたように記憶しています。

最近ではまた別の心配をされてはいますが少なくとも親が謝りながら泣くようなことはしていませんね。

この境になった時にちょうどADHDの診断が下りまして、薬が出たこととか、あるいはそこでいい先生に出会えたからなのかはわかりませんが今の私の道徳観や倫理観などの性格に類するものが形成されたのでしょうか。

そうだ、最近話題の不登校革命家さんがいらっしゃるそうですね。

自慢じゃないですが私は高校まで宿題をまともにできたためしがありませんでした。長期休暇の課題は親がいろいろ言うのでなんだかんだやりましたが。

ただ不登校ではありませんでしたね。大抵の先生は嫌いではなかったですし、私の認識する範囲でいじめられたという経験もありませんので(むしろ加害者にあたる行動のほうはいくらか覚えがありますが…)。

不登校であることを非難したりするつもりはありません(それどころか彼の人の動画を拝見すらしていないのでね…)が、今の社会の中でそのように生きていくと少なくとも「小学校すらまともに行けなかった人」というレッテル貼りなどに苦しむことにはなるかと思います。

それに今は知りませんが少なくとも社畜だとか人の言うことだけをやる機械みたいな人間が求められていた時代ではそうなることを社会そのものが教育に対し要請していたわけですし、いつか彼の人も機械みたいになれればいいなと思う日が来るとも思います。

まあ偉そうに言える義理ではありませんが子や孫に望む職業が公務員などである点からもですし、いまは高校で脱落しても受け皿がある(あえて悪く言うなら逃げ道ですかね)のでどこかに大学には入れると思いますし、そうすることがきっと親や祖父母にとっては安心につながるんじゃないでしょうかね。

もちろん個としての能力が十全にあって起業だとかあるいは別の形でも構いませんがこの学歴至上主義社会(もっとも、近年では学歴さえあればといえる状況でもないようですが…)のなかで学歴なしでやっていけるという自信と力があれば生き方なんて自由だと思いますが。

少なくとも教育が広く行き届くようにされている国がまず恵まれていることを認識したうえで、現行の教育制度の欠陥を声高に叫ぶべきかと思いますね(そうはいっても感謝できないのが人の性というものなのでしょうが…)。

あとは、民主主義(という体裁の)社会であるんだから、実際にそれを動かせるだけの人間になりなさいとは私も親によく言われましたね。

それでも現行のシステムに則ることに嫌悪感を覚えるのであれば海外に行って自分の望む教育を受けるなどいろいろあると思いますがね。

まあ、国民と国の関係みたいに仮に国民がその国のことをどれだけ嫌いであって、「俺を追放しろ!」などと言ったとしても正当な手続きなしにその国の国籍を捨てられない(剥奪されない)のと似てるなあと思ったりする次第です。

余談のつもりが長くなってしまいましたね。

まあ自分が思い描いていた(あるいは夢見ていた)”普通の大人”というものに近づけているかなあと日々考えを巡らせているわけです。

でも成人式の時にはまだ19だからお酒とか飲めないんすねー

時間があればお世話になった人らのとこに挨拶に行ったりもしたいんですけどねー

成人式の翌日講義が入ってるんだよねー

どうしよー

なーんて今から考えているわけです。ある意味浮かれていますね…

あと半年くらい先ですから今は今のことに集中すべきですね。

では。

 

さあレポートのテーマ何にしようか…

東大祝辞について

どうも、元号が変わりましたが元年の成人予定である以外影響がないなあと思っている者です。

もう時事と呼ぶには遅い気もしますが、今年度の新入生への聞き取り調査を目にしたのでそれも踏まえて私なりに批判してみたいと思います。

まず、祝辞としてどうなのかという話ですが、祝辞=手放しにほめたたえることなのでしょうか。私は祝辞とは節目を迎える人々に対して実りあるものであること、彼らの新たなステージでの一つの契機になることなどの方が重要であると思います。その点では私はあの祝辞については適切であるのではないかと思いました。

祝辞としてふさわしくないっていう意見があるなら、祝辞ではなく”お言葉”とでもしたらいいのではないでしょうかね、陳腐ですが。

次に入学者の男女比についての言及。私の高校でも東大京大を目指す同級生が何人かいました。その中でも確かに女性は少なかった(たしか1/4くらいだったかなあ)ように記憶しています。他方私の地元の中学では大学に進学することはおろか、普通科に行くより商業工業に行ってすぐ働くような考えがあるようでもありました。そのためといいますか、私自身も高校受験を意識したのは3年生の時でしたし、進路も親と先生に大体2か3択まで絞ってもらっての決定でした。おそらくですが、親の収入が子を支えるに足るものではないというのも一つでしょうか。そしてここに関わってくるであろうものが未成年での懐胎などでしょうか。その場合相手が消える可能性もありますし、未成年相手にそういうことをする人間がその相手や子供を養うに足る収入源を持っているとは考えにくいと思います(責任感が希薄な人間、リスクを顧みない人ともいえるでしょうか)。そういった地方といいますか、独特の地域の”色”からも女性の社会進出の枷のようなものは見てとれるように思います。こういう点をみると能力の差があるというよりも機会の差があるように感じます。おそらくですが大学進学より以前、義務教育課程修了のその時に既に大学での顕著な入学者の男女比の差の原因の一端のようなものが現れているのではないでしょうか。こういったことからもですが、親の収入が進学に関わるのはほぼ自明のことでもあると思います。アメリカではそれによって才能が埋もれないための措置を施しているようですが、日本では国がそうしたとしても文化や風俗といった違いでうまく機能しないようにも思えます。で、本題に戻りますが、男女での能力の差を調べたいのでしたら模試を用いればいいかと思うのです。たしか男女の記載欄があったはずなのでそれで別々に成績の分布を示せばよいかと。そうすれば能力の差が少なくともその時点でのその模試の受験者においてみられるか否かという判断が得られるはずです。趣旨とはズレているようにも思いますが…。

最後に個人的な感想ですが、私は特に報われる云々の話に感銘を受けましたね。彼らを尊重しつつも彼らに釘を刺すようなそんな言葉だったように思います。

私は東大にダブルスコアつけられるような大学の生徒ですが、多様性を叫ぶ社会の一方その多様性を認識し難いなかで、自分を取り巻く環境が当然でないこと、この環境を欲しても得られない人というのがいるかもしれないということ。そんなことを考えさせられました。私も環境としては最高だったのでしょうけどね…私自身が愚かだったゆえにその環境を活かしきれていなかったか、あるいは気づいてすらなかったのかもしれませんね…。

私は自分の大学の入学式で覚えているのは慣れないスーツで暑苦しいホールに詰め込まれたことだけですね…その前日だったか当日だったかは雨だったので余計に暑苦しかったですね…。

まあいいや、全文読んだのももう1か月近く前なので怪しいですが、もう数か月も更新してなかったなあと思い筆(?)を取った次第です。

まだ連休中盤ですが、体調等には気を付けて

では。

アトリエに出会い、春休みを満喫した話

どうも、大学生活始めての春休みの長さに困惑していた者です。

ほんとに長いので帰省するか悩んでから帰省する余裕すらありました。

で、セール中だったのもありアトリエシリーズに手を出してみたのです。

はじめはアーランドの錬金術師DX3つを順当にやりましたね。

といってもロロナを2、3周してからトトリ、メルルと同じくやっていったわけです。

軽く述べますとロロナDXは初心者にもやさしいですね。(昔はコンテナやらで大変だったようですが)

初めてアトリエシリーズをやるって時に目的と期限がはっきり示されているのは初心者が路頭に迷わないための王国なりの配慮なんでしょうね。

ただ、初見で何を血迷ったかノーマルでないエンドを回収し、それ以降もノーマルを回収できずじまいであります。トゥルーばっかだけどこれがノーマルなんですかね…

一応深淵4マキナ最深(ロード未討伐)まではできましたが、あれ無理やでほんま…

トトリはやや難だと思いますね。初見はあれよあれよとバッドエンドでした。2周目で一応ノーマルは回収できましたけど。面白いのは確かなのですがね…。

こっちも一応オルトガラクセンのコバルトスカル以降以外はやった感じです。慣れれば楽しいし意識せずにバッドエンドを回収させてくれたと考えればこれはこれでよいかと。ただ特性の合成がないので武器とか防具がしょぼくなりがちでした…。

メルルはロロナよりは難、トトリよりは易という感じを受けました。

これは集大成といった感じで特性の合成あり、ワールドマップシステムありなどと楽しかったですね。個人的にはロロナトトリをやったらメルルをやってほしいですかね…。3部目ということでキャラクターがシリーズ内ですでに登場しているというのも多いのですが、やっぱ時系列に沿ってやると「それって…」ってなるのでより楽しくなるかと思いますね。そういえばルルアだっけ?最新作にはロロナ以降姿を見せなかった人らも出るみたいで正直揺れてます。ソフィーを買ったばかりなんですよね…。

ソフィーもいいぞ!かわいいぞ!

あとどれもBGMがよいですね。キャラごとにBGMがあるゲームをプレイしたことがなかったので豊富なBGMと作曲者のコメントで満足しています。

しかし、休みが終わるのにこのままでいいのだろうかとも思うのです。

春休み中は勉強どころかペンを握ってすらないという自堕落ぶりなのでね…。

まあ、教科書買ってから本気出すということにしておきましょう。

では

 

アルコールがまーたパイロットから検出されたらしいですね

どうも、先日私自身が生を受けた日を再び迎えた者です。

テレビ見て思うことがあったので述べていきます。

まあ私自身はまだお酒は飲めないのでお酒を飲む人々の考えはわからないですが。

まず車、自転車でさえ飲酒運転は危険運転扱いで、場合によっては逮捕もされるのに、なぜ飛行機の運転手の中にはお酒に対しての認識が甘い人がいるのでしょうか。

地上を走るのは言い換えれば拘束運動ですが、空中ではあらゆる挙動があり得るという点において地上のそれ以上に高度なものであるはずです。

とはいえ、車などの飲酒運転の事案に比べれば数は少ないのは事実でしょう。これに関しては代表性の錯覚とも取れますけども。

人間だから完璧じゃなくていいというのはよく言われます。

ですがそれは不完全であり、失敗することを正当化するための文句であるのではなく、自身の不完全性を認識したうえでそれを補う努力をすべきという意味ではないのでしょうか。

飲酒に関してルールが定められている以上それを遵守するのはそれを生業とするものの当然の務めだと思います。

それが勤務時間外にずれこむと、プライベート云々というのでしょうけどもそれを承知の上でその職業を選んだのではないでしょうか。

勤務時間外の時間というのをすべて己個人の快楽追求のために使うのはその職業の責任というものを軽視しているがための行動なのではないでしょうか。

もちろん昨今well-beingやquality of lifeが大切にされている中で個人としての充実を余暇において求めることを否定するのではありません。

ただ、例えば自身が働く場において勤務する何時間か前からはお酒を飲んではいけないとされているならばそれを踏まえて生活を組み立てていけばいい話だと思うのです。

こんなことは小学生が明日の準備を今日の夜するのと同じことだと思いますけどね…

こんな当然のことに対して知恵を付けただけの―それが本当にやるべきことであるか否かもわからない―愚か者がそれじゃあ給料が出ないのに働いているみたいじゃないか!などとでも言うんでしょうかね。

まあ大変なお仕事なのでしょうし、その分ゆっくり休ませてほしいという気持ちもあるのかもしれませんが「仕事のための時間=勤務時間」ではないんじゃないかなとは思いますね。

まあバイトもしてない社会経験0の大学生が生意気言ってるだけでしたが。

でもやっぱり、不祥事が立て続けに起こるっていうのは不思議だなあと思いました。

意識が向いてより発見されやすくなると同時に問題そのものを根治させようという試みが組織内でないとこのようなことになるんでしょうかね。

問題そのものの母数は変わらないけどそれへの意識が変われば増えたり減ったりするのでしょうかね。

人間そのものも不思議ですが、集団というのもまた不思議ですね…