中の下理系大学生の日記(仮)

いろいろ手探りです 画像はとりあえず付けました

日本語と英語の違いとか

どうも、昨日は寝付けず2時間ほど悶えていた者です…

さて、さっそく本題ですが私は日本語学習が発音記号の学習であったと気づきました。

だからその組み合わせで音を発し、その記号により表されたものが何かを指示する記号となっているのだなあと。

英語で言えば英語のアルファベットを学んだからといってそこから単語を生み出すことはできない(あるいは稀)と思うのです。

それはアルファベットがいうなれば日本語における漢字のようなものだからなのでしょう。

日本語の漢字はその中にいくつかのひらがなを内包し、それらの読みとしてかつて習ったそれを用いるわけです。

日本語の発音記号たるひらがなの英語のそれとの違いについては、ひらがなは前後による音の変化がないように思います。もちろん例えばバリ島(とう)と屋久島(しま)のように変化するケースこそありますが、ひらがなにおいてはそういったものはないかと私の経験上は導けますかね。

また一方で同一の記号でありながら(少なくとも義務教育課程での日本語の学習において)異なる発音の書き分けは漢字のほかには認識する側の解釈に委ねられるという難しさもあります。例えば「橋(はし)の端(はし)を箸(はし)をもって歩く」とかですかね。

まあつまりですね、日本語は簡単なように思えますが意識してないところによくわからないルールみたいなものが隠れていることが多いなあってことです。

ちなみに英語における単語と日本語における漢字の類似点は不-可能とim-possibleのような部分にも垣間見ることができると思います(この程度はすでに過去の研究などでも示されていそうですが)

あと不思議なのは作文などでは英語は~wordsであるのに日本語は~文字ってことですかね。ひらがな一文字でもたしかに「い」などは意味を持ちますが、英語におけるwordsと同じ次元を持つのは漢字のような気もするのですがね…

こういったことを考えていると言葉は接辞などにより異なる意味や品詞になるものが多いですがその根幹には何があるのかということですね。

例えば「できる」「able」があって「可能」「possible」や「能力」(能は漢文でも学ぶ通り可能を表すものですね)「ability」、あるいは「可能性」「possibility」だとかが生じるわけですが、その基になった「できる」「able」はどのようにして決まったのでしょうか(英語だけではないですが、ラテン語などの古代の言葉にその発祥を求めることがありますがその場合はその言語における同一の問題を考えればよいでしょう)。

だって別に「できる」を意味するのが3文字(3音)である必要はないですし「る」でこれが終わるから「~ができる」は「~る」と表されうるわけですから。

ですが、まあたぶんこういうことは考えても意味がないのでしょうね。数学における公理みたいなものなのでしょうか。

言語学を学んでいるわけでもないですがこういうことって気づくと面白いんですよね。

でも英語は難しいです。発音記号から学習してもアルファベットの綴りと1対1対応じゃないので漢字の苦労2回分が必要になりそうですし…(発音記号→アルファベット、アルファべット→単語)

漢文はまあまあわかるけど中国語はどれも同じに聞こえますし…

言語って大変ですね…日本語だって難しいですから…

では。