明石市の市長さんのことに関連して考えたこと
どうも、最近は一部のニュースは一般人の小室なんとかさんのことばかりで日本は平和だなあと思う者です。
唐突ですが、もう彼は辞めてしまったんですかね。
私も第一印象(メディアの速さばかりを追い求めた情報を基に形成された印象)ではあまりいい印象を抱きませんでした。
が、彼の市長としての実績及びあの発言の後の部分が判明してからは180度変わりましたね。その翌日か当日かに速報で辞意を表明とあったので残念に思いましたが。
ここで不思議に思ったのが”よそ”からの”匿名”の苦情が殺到したんですかねってことです。
そもそも市長を市長たらしめたのは市民であるわけですよね、おそらく。
であるならばその処遇もまた市民に帰せられるべきではないのかなあということです。
元々彼は4月の選挙で民意を問う方針と言っていたように思います。
悪い印象を抱いていたときはどうして辞めないのかなとは思いましたが、今考えれば別に市長であるのだから民意を問うのは当然のことであるなあと思いますね。
で、私が常々思っているのは匿名性って一方的な暴力のためのものじゃないよねってことです。
どっかの調査ではある事柄に対して極端な意見を持つ人が多く意見発信する一方で中間の人は静観しているといったものがありました。
まだ意見なら議論する余地はあるかもしれませんしいいでしょうけども。
企業の問題では同名の無関係な企業にまで影響が及んだという話だってあります。
これは一体どういうことなのか私には理解しかねますが。
私はそういう人らは自身の発言に対してちょっと無責任すぎやしないかなと思うわけです。
「なんかムカついたから」ってのと同じくらい理不尽じゃないですかね。
「同名だから」って理由で無関係な人を攻撃するのと一緒ですよね。
匿名性ゆえにクレーム(これは本来、品質及び顧客満足度を高めるためのものだったではないでしょうか)がただのストレス発散、他人を傷つける自慰行為と化しているように思います。
もちろん私だって今匿名性によって守られているのは事実です。
ですが匿名性は武器じゃなくて防具であるべきだと思うのです。
だから何かに対して攻撃するなら(すなわち武器を取るならば)名乗るとは言わずともある程度の情報公開を攻撃側にも課すべきじゃないでしょうか。
その”攻撃”に単なる自己満足、自分本位な動機がない、すなわち正しい意味での”批判”であるならば攻撃側はそのことについて何の負い目もないでしょうし、批判される側にとってもチャンスになると思うのですが。
まあ、実際はそうもいかないんでしょうね。
羊の皮をかぶったハイエナがたくさんいても羊飼いはそれらを守ることだけを考えるんでしょうね。そのハイエナを何とかすることはきっとその羊飼いの仕事ではないのですから。
うーむ、人の本性は暴力なんでしょうかね…わかりませんね…
まあいいや。
では。インフルエンザには気を付けて