欲と意識とか
どうも、暖房は氷点下でのみ稼動を認めるべきだと思うものです。
突然ですが、意識の声の背後に何があるんでしょうね。
意識は行動を支配しているように感じますが、これを支配するなにかもあるのではないでしょうか。
それで、やや観念的ではありますが私は欲なのではないかと思うのです。
その欲の根本になるのはたぶん人間の体の化学的性質、血糖値やホルモンだとかそんなものだと思うのです。
しかし、そうなれば人の体は人が意識して維持しているのでしょうか。
人の体の脳ではない(行動を司れない)なにかが体に対して何が必要なのかを教えているのでしょうか。
ということは、例えばおなかがすいたという感覚は生存のためのなにかの声なのかなあと思うのです。
生存に関する必要な欲求というのは私ではなく、この体の生存したいという声なのかなあと。
そうなると生存には必要ではない欲というものがあるのかなあと思うわけです。
例えば昔の人(狩猟により生存していた頃の人類)はゲームだってありませんし、タバコやお菓子のような嗜好品もなかったでしょう。しかし彼らは生きていた(歴史ではそうなっているというだけですが)。
このころと比べれば今は様々なものがあり、消費されています。
これを不要なものを生産し消費するだけの無意味な行動ととるか、必要というものは時代の流れにより変化したととるかでしょうか。
後者のほうが自然ですかね。
人の欲というのは恐らく決して満たされることのない、満足というものを知らない貪欲な化け物であるのですから。
生肉を食ってた時代から火を通す時代へ、農作業から多くのモノを作り、各地と取引することでその欲に応えるモノも多様化した。そんな流れが続いてきたのでしょうかね。
でもそうなると今の欲は人間のアプリオリな欲求ではないのでしょうか。
つまりその欲は人間という種の生まれたときに備わっていたものではなくなってしまいつつあるのでしょうか。
それとも昔の人もタバコやお菓子、その他のものがなかったから求めなかっただけで、もともとそのような欲求が備わっていたのでしょうか。
まあ今となっては知りえないことですが、これなら人間が何かを開発するというのはその欲に従ったまでという解釈もできるような気がしますね。
そのもとは何なのでしょうか…これがイデアというものなのでしょうか…
うーむ難しい。
まあ最近何がしたいとか何になりたいとか好きなものとかを考えるのですが何にも浮かばないので…欲の根っこを知れば自分のしたいこととかがわかるかなあと思ったまでです。何にもわかんなかったですけどね。
私はいったい何になるのでしょうか。どうなっていくのでしょうか。私は何なのでしょうかね。
こういう問いは私が私である以上答えられないものなのでしょうけど。
それでも考えたくなるものだと思います。